
■■■マイセン磁器の歴史/ドイツ■ ヨーロッパで最初に白磁を作り出す事に成功したマイセン窯。約300年の歴史がございます。今も職人が手作りで造形、絵付けを行い大変質の高い作品を作り続けております。マイセンの歴史やその時代を代表する作家について簡単にご紹介しております。 |
![]() マイセン ドレスデンの旅 |
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T.マイセン窯の誕生 |
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| ■憧れの東洋陶磁器■ 1298年マルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」によって、ヨーロッパに初めて東洋の磁器の製造方法が紹介されたという。この本がでてから200年後、ポルトガルによってインドへの海上航路が発見され、利潤の高い東洋の富を巡ってその指導権争いが起こった。17世紀にはオランダ、18世紀にはイギリスが優位にたつことになりました。 輸入された東洋の陶磁器は珍重され、金銀宝石にも匹敵する価値があり、裕福な上流階級の人々がこぞって収集にはしった。その中でも最も熱烈なコレクターのひとりがザクセン選帝侯でポーランド王を兼任していた強王フリードリヒ・アウグスト(167.0-1733年)でした。右の写真がその王です。現在もドレスデンの街の壁をかざってます。近年マイセン社の陶板作品としても発表されました。 |
![]() マイセン/アウグスト強王 |
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| ■ヨーロッパ初★錬金術師ベットガーによる磁器の発見■ 東洋の磁器は白く、薄手で軽く、半透明な釉薬によって仕上げられていました。この頃、陶磁器製作技術をヨーロッパ人は知らなかったため、「磁器に毒入りの食物が入れられると粉々に壊れる」などという迷信まであったといいます。 その後、ヨーロッパ各地でこの磁器の秘密を解明しようと努力がなされた。ようやく成功にいたったのが18世紀、学者エーレンフリート・フォン・シュリンハウスと、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーと、ザクセンのアウグスト強王によるものでした。当時ザクセンは財政難で、利益の見込める磁器工場の設立が必要であったため、王はこの事業に出資したのでした。 「金属を金に変える」これが錬金術師の仕事です。ベットガーはプロシア王フリードリッヒから金を作り出すことを命じられましたが、成功しなかったため逃亡。1701年ザクセンのアウグスト強王のもとにやってきました。強王もベットガーに金の変性を命じましたができず、投獄してしまいます。ベットガーは1703年に一度逃亡しますがつかまり送り返され、シュリンハウスとともに陶磁器の開発に携わることとなりました。 ベットガーは質素な研究室であらゆる種類の粘土を配合し、様々な温度で焼成し実験を重ねました。そして1707年に出来上がったのが、赤いストーンウェア(ベットガーb器)です。その後白い素地を探す実験を続け、ようやく1708年1月15日、窯からでてきた7種のサンプルのうち3種が白く透き通っていました。更に生産するための模索を続け1709年に「良質の白い磁器」をつくるという覚書がベットガーから強王に書かれました。 ようやく、1710年王によりドレスデンに磁器工房設立の布告がなされ、工房はマイセンのアルブレヒツブルク城に移されました。マイセン窯の誕生です。 |
![]() アルブレヒト城/マイセン ![]() マイセン/アルブレヒト城 1908年 Barth飾皿 マイセン磁器の工房がある この美しい城はたびたび磁器の テーマとして登場します |
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![]() アルブレヒト城壁画/マイセン錬金術師たちの説明を受ける王(左) 実験をするベトガー(右) |
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| ■ベットガーb器■ 磁器製造の秘密を守る為、工場は城壁の中にありました。素地と釉薬の組成、焼成方法、窯の構造等の秘密を守る為、ベットガー工房では素地の配合を管理する者と、釉薬を管理する2人の管理者にまかされました。全工程を知っているのはベットガーただ一人です。 しかしまだこの時点でも焼成されていたのは赤いストーンウェアでした。彼は、このストーンウェアの表面にバロックやゴシック模様、花やシンボルなど様々な装飾を施し華やかなものをつくりました。この装飾に協力したのが、ヨハン・ヤコブ・イルミンガーです。その後も東洋の白い磁器をつくろうと研究実験を重ねたが確立にはいたらず、囚人としてのストレスで酒に救いを求めたベットガーは健康を損ね、1719年に37歳で亡くなってしまいました。 |
![]() ベットガーb器/2000年世界限定品/デキャンタ金彩レリーフ |
![]() ベットガーb器/ソーサー マイセンの風景レリーフ この色が赤いストーンウェアです ![]() ![]() ベドガー拓器の人形もございます 白磁より手頃な価格で人気 |
![]() ベットガーb器/ 2000年世界限定/ビアマグ |
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W20世紀マイセン陶磁器 |
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| ■新しい時代様式■ 1900年に近づくにつれヨーロッパ各地で新しい芸術様式が広まってきた。イギリスのアール・アンド・クラフト運動、フランス「アールヌーボー」、ドイツ「ユーゲントシュティール」、オーストリア「セゼッション」などです。 マイセンでも伝統的なモチーフを大切にする一方で、当時の工場外の芸術家を招致して新しい作風のものも多数発表されます。これらのユーゲントシュティールの作品は、学術的には大変評価が高かったですが一般の購買者には受けいられませんでした。そのため、現在では生産されていないものが多いく、歴史の中にうずもれてしまっている作品ともいえます。しかし一部のファンの方に今でも絶大な人気のあるお品物です。 |
![]() 彗星模様 |
![]() クロッカス |
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![]() ヴェルナーデザイン |
![]() ホルスト・ミヒャエルデザイン |
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| ■ヘンチェル人形シリーズ■ マイセンの中でも人気の高いかわいい子供シリーズ、ヘンチェル人形。1904〜1907年にユーゲントシュティール人形として、ユリウス・コンラート・ヘンチェルによって14体のヘンチェル人形がつくられ今も製造されております。 その後ヘンチェルに影響を受けたパウル・ヘルミッヒ、アルフレッド・ケーニッヒ、エメリッヒ・エーラーなどにより更にヘンチェル人形が創造されました。定番の「ブルーオニオンのカップでミルクを飲む男の子(1905年作)」から、猫や犬と遊ぶ子供など、たくさんの種類がございます。 定番のもののほかに、アールヌーボー調の絵付けがされた世界限定300体のタイプや、アンティークのものも掲載しております。マイセンのお人形はその表情やしぐさから絶大な人気を博してます。 ヘンチェルによる子供のシリーズ1905年に製作され、特にブルーオニオンのカップを持った男の子は今でも人気が高いです。(もちろんドイツ本国でも大変人気がございます。)カップの裏にはマイセンである証の双剣マーク入りです。ブルーオニオンのカップをもった男の子の人形の背後に馬の人形が横たわってますが、アンティークのものではこの馬の人形の色が異なります。奥が深いです。 |
![]() ブルーオニオンのカップを持った男の子 |
![]() カップの裏には双剣マーク |
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![]() 様々なシリーズがあります |
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