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T.マイセン窯の誕生

■憧れの東洋陶磁器■

 1298年マルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」によって、ヨーロッパに初めて東洋の磁器の製造方法が紹介されたという。この本がでてから200年後、ポルトガルによってインドへの海上航路が発見され、利潤の高い東洋の富を巡ってその指導権争いが起こった。17世紀にはオランダ、18世紀にはイギリスが優位にたつことになりました。
 輸入された東洋の陶磁器は珍重され、金銀宝石にも匹敵する価値があり、裕福な上流階級の人々がこぞって収集にはしった。その中でも最も熱烈なコレクターのひとりがザクセン選帝侯でポーランド王を兼任していた強王フリードリヒ・アウグスト(167.0-1733年)でした。右の写真がその王です。現在もドレスデンの街の壁をかざってます。近年マイセン社の陶板作品としても発表されました。

マイセン/アウグスト強王
■ヨーロッパ初★錬金術師ベットガーによる磁器の発見■

 東洋の磁器は白く、薄手で軽く、半透明な釉薬によって仕上げられていました。この頃、陶磁器製作技術をヨーロッパ人は知らなかったため、「磁器に毒入りの食物が入れられると粉々に壊れる」などという迷信まであったといいます。
 その後、ヨーロッパ各地でこの磁器の秘密を解明しようと努力がなされた。ようやく成功にいたったのが18世紀、学者エーレンフリート・フォン・シュリンハウスと、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーと、ザクセンのアウグスト強王によるものでした。当時ザクセンは財政難で、利益の見込める磁器工場の設立が必要であったため、王はこの事業に出資したのでした。
  「金属を金に変える」これが錬金術師の仕事です。ベットガーはプロシア王フリードリッヒから金を作り出すことを命じられましたが、成功しなかったため逃亡。1701年ザクセンのアウグスト強王のもとにやってきました。強王もベットガーに金の変性を命じましたができず、投獄してしまいます。ベットガーは1703年に一度逃亡しますがつかまり送り返され、シュリンハウスとともに陶磁器の開発に携わることとなりました。
 ベットガーは質素な研究室であらゆる種類の粘土を配合し、様々な温度で焼成し実験を重ねました。そして1707年に出来上がったのが、赤いストーンウェア(ベットガーb器)です。その後白い素地を探す実験を続け、ようやく1708年1月15日、窯からでてきた7種のサンプルのうち3種が白く透き通っていました。更に生産するための模索を続け1709年に「良質の白い磁器」をつくるという覚書がベットガーから強王に書かれました。
 ようやく、1710年王によりドレスデンに磁器工房設立の布告がなされ、工房はマイセンのアルブレヒツブルク城に移されました。マイセン窯の誕生です。

アルブレヒト城/マイセン

マイセン/アルブレヒト城
1908年 
Barth飾皿
マイセン磁器の工房がある
この美しい城はたびたび磁器の
テーマとして登場します
    
アルブレヒト城壁画/マイセン錬金術師たちの説明を受ける王(左) 実験をするベトガー(右)
■ベットガーb器■

 磁器製造の秘密を守る為、工場は城壁の中にありました。素地と釉薬の組成、焼成方法、窯の構造等の秘密を守る為、ベットガー工房では素地の配合を管理する者と、釉薬を管理する2人の管理者にまかされました。全工程を知っているのはベットガーただ一人です。
 しかしまだこの時点でも焼成されていたのは赤いストーンウェアでした。彼は、このストーンウェアの表面にバロックやゴシック模様、花やシンボルなど様々な装飾を施し華やかなものをつくりました。この装飾に協力したのが、ヨハン・ヤコブ・イルミンガーです。その後も東洋の白い磁器をつくろうと研究実験を重ねたが確立にはいたらず、囚人としてのストレスで酒に救いを求めたベットガーは健康を損ね、1719年に37歳で亡くなってしまいました。

  ベドガーせっ器

ベットガーb器/2000年世界限定品/デキャンタ金彩レリーフ

ベットガーb器/ソーサー
マイセンの風景レリーフ
この色が赤いストーンウェアです


ベドガー拓器の人形もございます
白磁より手頃な価格で人気

ベットガーb器/
2000年世界限定/ビアマグ

Y現在のマイセン磁器

■次世代アーティストの誕生■
 現代マイセン5人組が引退し、新しいマイセンのアーティストたちによるモダンな新作が次々と発表されております。波の戯れのザビーネ・バックス女史や、ヴェルナー氏の高弟であるマイスター、ヴォルフガング・ワックス氏(新しいアラビアンナイトの絵付けなど製作)などです。
 その一方で古くからの主題も、職人により製作され続けております。非常に多くの絵柄やアイテムがあるマイセンですのです。お気に入りを職人に製作してもらうというご注文方法もございます。(商品によりますが、製作ですと納期約6ヶ月〜)。例えばフルーツのカップといっても、その絵柄、カップの形・大きさが沢山ございます。目にする機会が少ないマイセン磁器をHPで写真でご覧いただけるように掲載いたしました。
 ぜひ素晴らしい作品の数々をお楽しみ下さい。
  マイセン/トップページ
■マイセン/イヤーズプレート■
 ご結婚、ご出産、新築、開業、昇進祝いなど、ご贈答や記念にと人気が高いのが、イヤープレートです。多くのメーカーがイヤーズプレート、記念プレート等を生産していますが、このマイセンのものは生産数が少なく、後からはプレミアがつき入手が困難になるものも多いです。もともとはクリスマスプレートとして1900年初頭から毎年発表されております。絵柄もその時代に人気のアーティストがデザインをしております。最近は額装なさって飾られる方も多いです。記念の年はお早めに購入なさることをお薦めします。
 2004年からは、青い花などのデザインをしたアンドレアス・ヘルテン氏によるオペレッタシリーズです。

  マイセン/イヤーズプレート

マイセン2006年
イヤープレート
■マイセン/ヴェレンシュピールシリーズ
 ザビーネ・ワックス女史を中心としたチームがデザインしたこのシェイプで波の戯れシリーズ。モダンで使いやすいシェイプで人気がございます。
  マイセン/波の戯れ  マイセン/青い花

  マイセン/その他のヴェレンシュピールシリーズ

波の戯れ
■マイセン/シノワズリ 東洋趣味の絵付け
 東洋の絵柄を模したことからデザインされたシリーズも沢山ございます。柿右衛門のようでありながら、西欧ならではの感覚で図案化されたものも。日本の干支にあるドラゴン(龍)も人気の絵柄で様々な色、パターンがございます。
  マイセン/シノワズリ/トップページ

  マイセン/インドの華  マイセン/ドラゴン
■マイセン/フラワーシリーズ
 瑞々しく描かれたマイセンのお花は実に沢山の種類がございます。通常の一つ花〜三つ花に描くお花のパターンも36種類もあります。また、旧画法や自然主義などの描き方の違いによってもお値段も変わってきます。
  マイセン/フラワートップ
     
 スキャタードフラワー Bフォーム等
■マイセン/フルーツシリーズ
 実物ということで縁起が良いシリーズであるフルーツのシリーズ。オレンジ、リンゴ、バナナ、チェリー、パイナップル、ブドウ、モモ等様々がものが描かれます。旧画法もございます。
  マイセン/フルーツ 
■マイセン/バード 鳥 フィッシュ 魚 野生動物シリーズ
 マイセン野鳥のシリーズや珍しいお魚のシリーズ、野生動物を描いたシリーズ様々な絵柄がございます。羽や毛は描くのに技術が必要だそうです。また鳥を描いたものには、餌である昆虫もいっしょに描かれることが多いです。
  マイセン/バード フィッシュ 野生動物(うさぎ きつね等)

Xマイセン新しい時代 

■現代マイセン5人組■

 1975年、ルードヴィヒ・ツェプナー、ペーター・シュトラング、ハインツ・ヴェルナー、ルディ・シュトレ、フォルクマール・ブレッジナイダーの5人の芸術家は、マイセン磁器に与えた功績によりドイツ民主共和国から国家功労賞を授与されました。彼らによりマイセンは新しい時代が幕開けしたといえます。
 すでにこの5人はマイセンを引退しておりますが、今も多くのデザインをもとに、職人により陶板、人形、カップ等多くの作品がマイセンで作られ続けております。


ミュージッククラウン-世界限定100
現代マイセン5人組
■ハインツ・ヴェルナー(WERNER HEINZ)略歴
絵画学士(Diplom-Kunstmaler)
1928年   ドイツ、ドレスデン郊外のコスヴィヒに生まれる
1943-48年 マイセン磁器製作所にて、職業訓練を受ける
1958年   装飾家として招聘される
1959年   マイセン磁器公団の美術家組合の会員となる
1959-62年 ドレスデン造型美術大学の聴講生となる
1960年発足の芸術家集団に参加。食器の絵付けデザイン、ウニカートの製作等に携わる。
1967-71年 上記大学で絵画を専攻
1975年 グループ内でDDRの国民賞受賞
1979年   ハルレ=ブルク・ギーベヘンシュタイン工業造型大学装飾造形科にて教える
1981年   同大学より工業製品及び容器造形学の名誉教授に就任
1994年   マイセンを引退。以後フリーランスとして芸術活動に従事

■代表する作品
アラビアンナイト、サマーナイトドリーム、ドラゴンメロディー、狩人のほら話、ブルーオーキッド等多数。
日本でも大変人気の高いマイセンのアーティストです。


   マイセン/アラビアンナイト     アラビアンナイト映像ギャラリー

 
  マイセン/サマーナイトドリーム サマーナイトドリーム映像ギャラリー

   ヴェルナーその他の作品     ヴェルナー直筆画等

   ブルーオーキッド

ヴェルナー(ミュージッククラウン)

アラビアンナイト

1日の終わり
/ヴェルナー直筆画

アラビアンナイト/ヴェルナー直筆画

ブルーオーキッド

サマーナイトドリーム
■ペーター・シュトラング(PETER STRANG)略歴
造型学士
1936年 ドイツ、ドレスデンに生まれる
1950年 マイセン磁器製作所で活動を始める、ドレスデン造型美術大学で学ぶ
1960年発足の芸術家集団に参加。
1966年 DDR造型美術家連盟加入
1975年 グループ内でDDRの国民賞受賞
2001年 マイセン引退
■代表する作品
日本の干支の人形など、手ひねりの人形や、現代マイセン5人組を道化楽士にみたてたミュージッククラウン、犬や猫、メルヘンシリーズ、天使楽隊、マイセン愛好家など多数の作品がございます。大変表情の豊かな作品で見るものを魅了し、人気の高いアーティストです。

  シュトラング氏デザイン人形
  
干支、アラビアンナイト、ダックスフンド、テリア、プードル、ブルドック、シェパード、バグ、犬、猫、天使の楽隊、シンデレラ、ヘンチェルとグレーテル、長靴をはいた猫、蛙の王様、ミュージッククラウン、マイセン愛好家、イソップ物語、メルヘンシリーズ
ミュージッククラウン、ウェディング、犬、パグ、梟、ハンティング、マイセンコレクター(ウッツ)、動物の楽隊等

シュトラング(ミュージッククラウン)

ミュージッククラウン

12干支/仮面人形

エンジェル楽隊
■ルーディ・シュトレ(Rudi Stolle)略歴
芸術磁器装飾家
1919年 ドイツ、マイセンに生まれる
1947年 マイセン磁器製作所で活動を開始
1968年から芸術の発展をめざすデザイナー・グループのメンバー
1975年 グループ内でDDRの国民賞受賞
1979年 DDR造型美術家連盟加入
1991年 マイセン引退
1996年 死去

  シュトレ作品

シュトレ(ミュージッククラウン)
 
ルディ・シュトレ氏作 ウニカート1979年(魚群)

ルディ・シュトレ版画
彗星

ルディ・シュトレ版画
月光
■ルードヴィヒ・ツェプナー(Ludwig Zepner)略歴
1931年 マルクヴィッツに生まれる
1946年 マイセンへ移転
1948年 国立マイセン磁器製作所付属養成学校に入学
1949年 造型士の勉強を開始
1952年 同養成学校を 優 で卒業
1952-54年 ヘルムスドルフの陶磁器専門学校で窯業技術を取得
1954-58年 ベルリン ヴァイセンゼーの造型応用大学陶磁造形科で研究、卒業
1960年発足の芸術家集団に参加 1990年まで芸術指導部長を務める
1969年 「花の輪舞」のフォーム構想をたてる
1972年 「グローサー・アウスシュニット」構想をたてる
1986年 「日本」シリーズの構想をたてる
1993年 「グローサー・アウスシュニット」に「ホワイト・レリーフ」を創作する
1994年 「クリスタル・グラズーア」の創作に取り組む
1996年 マイセン引退
現在はなんと陶器でバイオリンはホーンを製作し、演奏なさったりしているそうです。

■代表する作品
20世紀後半に誕生したマイセンの器の造形のほとんどが氏によるものです。「花の輪舞」「グローサー・アウスシュニット(アラビアンナイト、サマーナイト、ブルーオーキッドなどのフォームです)」「日本シリーズ(KUMITATEシリーズで日本茶用などのフォーム)」など。

  ツェプナー作品

ツェプナー(ミュージッククラウン)
 
ウニカート陶板/波と金色の雲

クリスタルグラズーワ(製品版)

クリスタルグラズーワ
/ウニカート

ツェプナーの薔薇
■フォルクマール・ブレッジナイダー(Volkmar Bretschneider)略歴
芸術磁器装飾家
1930年 マイセンに生まれる
1944年 マイセン磁器製作所で活動
1975年から芸術家集団に参加
1975年 グループ内でDDRの国民賞受賞
1979年 DDR造型美術家連盟加入
1995年 マイセン引退
■代表する作品
氏はウニカートによってその名を知られるようになりました。ダイナミックな花や蝶などの絵付けは見事です。

  ブレッジナイダー作品

  陶板 プラーク

ブレッジナイダー(ミュージッククラウン)

フォルクマール・ブレッジナイダー
/ウニカート

四季-春陶板
ブレッジナイダー
シュトラング氏合作デザイン

四季-冬陶板
ブレッジナイダー
シュトラング氏合作デザイン

直筆画/黄金の砂浜
■ウニカート■

 マイセンの中でも特にオリジナリティが高いのが、特定の作家によるウニカート(またはユニークカート)と呼ばれる作品で、1点ものです。これらウニカートはアトリエで特別に製作され、マイセンから証明書がついてきます。
 コレクターの方には特に人気があります。


  陶板 プラーク     マイセン3Dウニカートギャラリー  

  ヴェルナー直筆画    現代マイセン5人組 ウニカート 直筆画
 
 
ザビーネ・バックス女史 シルビア・クレーデ女史合作
 ウニカート鏡「真夜中の叫び」

雄鶏
/シュトラングウニカート

天使と悪魔
/シュトラングウニカート

W20世紀マイセン陶磁器

■新しい時代様式■

 1900年に近づくにつれヨーロッパ各地で新しい芸術様式が広まってきた。イギリスのアール・アンド・クラフト運動、フランス「アールヌーボー」、ドイツ「ユーゲントシュティール」、オーストリア「セゼッション」などです。
 マイセンでも伝統的なモチーフを大切にする一方で、当時の工場外の芸術家を招致して新しい作風のものも多数発表されます。これらのユーゲントシュティールの作品は、学術的には大変評価が高かったですが一般の購買者には受けいられませんでした。そのため、現在では生産されていないものが多いく、歴史の中にうずもれてしまっている作品ともいえます。しかし一部のファンの方に今でも絶大な人気のあるお品物です。

  マイセン/アンティーク

  映像ギャラリー

彗星模様

クロッカス

ヴェルナーデザイン

ホルスト・ミヒャエルデザイン
■ヘンチェル人形シリーズ■

 マイセンの中でも人気の高いかわいい子供シリーズ、ヘンチェル人形。1904〜1907年にユーゲントシュティール人形として、ユリウス・コンラート・ヘンチェルによって14体のヘンチェル人形がつくられ今も製造されております。
 その後ヘンチェルに影響を受けたパウル・ヘルミッヒ、アルフレッド・ケーニッヒ、エメリッヒ・エーラーなどにより更にヘンチェル人形が創造されました。定番の「ブルーオニオンのカップでミルクを飲む男の子(1905年作)」から、猫や犬と遊ぶ子供など、たくさんの種類がございます。
 定番のもののほかに、アールヌーボー調の絵付けがされた世界限定300体のタイプや、アンティークのものも掲載しております。マイセンのお人形はその表情やしぐさから絶大な人気を博してます。

 ヘンチェルによる子供のシリーズ1905年に製作され、特にブルーオニオンのカップを持った男の子は今でも人気が高いです。(もちろんドイツ本国でも大変人気がございます。)カップの裏にはマイセンである証の双剣マーク入りです。ブルーオニオンのカップをもった男の子の人形の背後に馬の人形が横たわってますが、アンティークのものではこの馬の人形の色が異なります。奥が深いです。


  マイセン/ヘンチェル人形

 
 マイセン/ヘンチェル人形映像ギャラリー

ブルーオニオンのカップを持った男の子

カップの裏には双剣マーク

様々なシリーズがあります
参考文献/
マイセン磁器/美術出版社、ヨーロッパの磁器/ヤン・ディヴィシュ著/岩崎美術社、陶藝の美/京都書院

マイセン磁器の歴史/ドイツ


 ヨーロッパで最初に白磁を作り出す事に成功したマイセン窯。約300年の歴史がございます。今も職人が手作りで造形、絵付けを行い大変質の高い作品を作り続けております。マイセンの歴史やその時代を代表する作家について簡単にご紹介しております。

マイセン
ドレスデンの旅
マイセントップページ
マイセン写真集
マイセンウニカート
3Dギャラリー

V19世紀マイセン陶磁器

■工場の近代化■
 19世紀にはヨーロッパ各地に陶磁器工場ができ、競争の時代となりました。その中で特に各窯に大きな影響を与えたのが、ナポレオン1世の時代に生まれたフランスのアンピール(帝政)様式です。セーブル磁器は大きく躍進をとげることとなります。シンプルな形状が好まれたことから、絵付師のが手の込んだ人物や風景の絵付けを施すようになってきました。
 ハインリヒ・ゴットロブ・キューンが経営責任者だった時代、マイセン工場は、原料の質の低下により粗悪な在庫をかかえていました。彼は1814-28年にかけ、まず磁土の改良、海外の磁器工場の技術の導入、新式の窯の導入、型造りと流し込み成形の導入、作品台帳の整理、販売価格の設定等を行います。更に、1827年、彼は焼成後の研磨工程が不要なグランツゴールドを開発し、マイセン磁器に使用を開始しました。工場長を務めた1828-63年においては、木材から石炭への燃料の転換、蒸気エンジンの設置等、工場近代化に大きな成果をあげます。彼により時代遅れだったマイセン工場は、これにより産業革命に耐えうる体制になりました。
 彼のグランツゴールドの開発、更に光の加減によって虹色に変化するラスター彩の開発などにより、時代にあった作品が作れるようになり、また工場の近代化により生産増加も可能となりました。

■マイセンローズの誕生■

 マイセンは、工場外の作家を招致したアトリエ製作をおくなっており、1855年パリ万国博覧会や、1862年ロンドン万国博覧会に、ウニカートを初め素晴らしい作品を出展して、その名声を高めてました。また、外国からの豪華な特別注文の作品なども多数製作しています。
 食器の絵付けでは、ヴァインリーフ(葡萄の葉)、マイセンローズ(開花した一輪の薔薇が左向きに描かれその右に蕾がある)、麦わら菊(現在のロイヤルコペンハーゲンのパターンでお馴染みですが、マイセンのほうが古い)など、現在でも製作されているビーダーマイヤー様式のパターンが誕生しました。

  マイセン
     /麦わら菊とロイヤルコペンハーゲン/ブルーフルーテッド

  マイセンローズ


ヴァインリーフ
(葡萄の葉)

麦わら菊


マイセンローズ
■マイセンの花 印象派の影響■

 マイセン陶磁器の絵付師の中でも印象派の影響を受けた作品が誕生しました。自然主義の花の絵で主導的な役割を果たしたのが、ユリウス・エドゥアルト・ブラウンスドルフです。彼は製作所の絵画学校を卒業し、1862年から花の絵付師としてマイセンで働いています。後に1880年からは教師として、1900年には教授になりました。彼の図案は「ブラウンスドルフの花」として今も製造されております。
  マイセン/アンティーク

  マイセン/フラワー


ブラウンスドルフの花

プラチナ彩

U18世紀マイセン陶磁器

■陶磁器製法技術の広がり■

 マイセン陶磁器の製造方法は分離生産ということで管理され守られておりましたが、職人の逃亡などによりだんだんと外部に持ち出され、各地でマイセンのものと見分けがつかない製品が作られはじめした。1717年にはウィーン工房(後のアウガルテン)を設立するためにクラウディウス・インノケンティウス・デュ・パキエによりマイセンより職人が連れ出されています。
  アウガルテン(オーストリア)

 その為、マイセンと大変似た絵柄の食器や人形などが各地の窯で製作されました。アンティークのものをご覧になると、マイセンにそっくりな他の窯の作品など目にする機会も多いです。その最たるパターンが今もお馴染みのブルーオニオンではないでしょうか。
 
数多くのブルーオニオンが出ていますがオリジナルはマイセンのもの(1739年)です。東洋の縁起の良い模様を真似て、ザクロ、桃、竹、菊が描かれています。右のプレートのリム部分のザクロが玉ねぎ(コバルトブルーの)からこの名が付いたと言われています。あまりに類似品がでまわってしまったため、竹の根元とプレートの裏に双剣のマークを入れ、マイセンのものとわかるようにして、今も作り続けられています。
  マイセン/ブルーオニオン

アウガルテン/デュ・パキエ時代(1718-1744年)
ハプスブルグ帝国の発展に貢献したオイゲン公に献納された柄
マイセン同様シノワズリのパターン

マイセン/ブルーオニオン
■絵師ヘロルト■

 マイセン工房にとっては職人の逃亡は大変な災難でしたが、それによってプラスになった事件もありました。
 ウィーン工房に一度逃亡したサムエル・ステルツェン(マイセンでは焼成、粘土の下ごしらえ担当)は約束の報酬が得られなかったため、マイセン工房に自分の無実を証明する証人をつれて戻ってきました。この証人というのが後にマイセンの絵師となる、画家ヨハン・グレゴール・ヘロルトです。
 彼は東洋風の絵付けのほかにも、港の光景、狩猟の場面、風景画やヨーロッパの花々を描く事にも長けており、マイセン絵付けの基礎をつくりました。有名なインドの華は1720年頃からヘロルトによって取り入れられた文様で、日本の柿右衛門模様から発想されたものです。当時東洋の陶磁器を運んでいたのが、東インド会社だったことからこの名がついたといいます。

  マイセン/ヘロルト(東洋人が描かれた人気の柄です) 

  マイセン/インドの華(全8色あります)

マイセン/絵師ヘロルト
1696〜1775年

ヘロルト

インドの華
■型師ケンドラー■

 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーは15歳でドレスデン宮殿の宮廷彫刻師の弟子となりました。1730年に宮廷彫刻師となった翌年、マイセン工房の型師に、そして1733年に主任型師になります。ケンドラーは皇帝に委託された動物の彫像や日本宮の礼拝堂用の使徒像のための型を、前任の型師キルヒナーとともに作りましたが、キルヒナー亡き後はひとりでその仕事にいどみました。ケンドラーによって躍動感ある動物やロココ様式の優雅な人形、食器などまでがデザインされ、今も残っています。
 今でも有名なのが、ザクセンの有名な大臣であるハインリッヒ・フォン・ブリュール伯爵のためにデザインされた白鳥のディナーセットです。レリーフに白鳥とその他の水鳥などが刻まれており、陰影で浮かび上がり、大変美しいです。
    マイセン/スワンサービス
 また、1739年には選帝候妃マリア・ヨゼファのためにスノーボウルフラワー(白いがまずみの花)や、四大元素や神話をモチーフにした人形、猿の楽隊なども製作しています。

    マイセン/パゴダ人形

    マイセン/猿の楽隊


 パゴダは中国の神の坐像の形をした香炉、または小像で、マイセンでは1720年以降作られました。1760年プロシアのフリードリッヒ2世が10個のパゴダを注文して、ケンドラーが型をつくりました。男女がいます。頭と両手が動くのが特徴。その後、各地で模倣され多くのパゴダが製作されました。
    パゴダ人形のお話/ドレスデン等

アウグルト強王は大型の動物の像を沢山注文しコレクションとしました。現在ドレスデンの宮殿で見る事ができます。
    マイセン/白磁 大型動物人形のコレクション

 ケンドラーと同じ時代に型師エーベルライン、メイヤー、ライニッケなど優秀な人物が在籍しており、ロココ風の優雅な人形なども多数製作しています。

マイセン/型師ケンドラー
1706〜1775年

マイセン/スワンサービス

マイセン/パゴダ人形 男女

ドレスデン/パゴダ女性神

マイセン/猿の楽隊 指揮者

パドアの雄鶏(高さ約77cm)

ツィンガー宮殿
■ロココの影響■

 ヨーロッパ全体にルイ15世様式とも呼ばれるロココ様式が流行します。力強いバロックと比較して軽やかで優雅なロココを代表する画家アントワーヌ・ワトー(1684-1721年)やブーシェなどの絵画を参考に、マイセンでもロココ調の作品が生み出されました。音楽や踊りに興じる恋人たちの姿の人形は今でもマイセンを代表するものとして人気が高いです。

 時代は変化し、やがてヘロルトの人気も落ちてきました。7年戦争1756-63年)の混乱も重なり工場は混乱にまきこまれ、1775年、マイセン陶磁器を大きく前進させたヘロルトとケンドラーは同じ年に世を去ります。18世紀中頃になると新古典主義がヨーロッパに広がっていき、1764年にはフランスからミシェル・ビクロール・アシェがマイセン工房に招かれ、神話、市民の生活の情景、子供の像を製作しはじめました。1765年ヘロルト引退後には、ワトー画や子供の天使がはやりはじめます。

マイセン/ワトー画
恋人達

マイセン/ワトー画
■マルコリーニ時代■

 封建主義に市民階級が反発にロココは衰退し、日常的で実生活にあったものが求められたことから、マイセン工房も存続の危機に瀕します。ちょうどその時期、1774年カミーロ・マルコリーニ伯爵がマイセンの工場長となりました。彼の在職した40年の間に花絵付けにおいて、新古典主義の影響が見られます。